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ストレンジ・フルーツ感想①

本日、舞台「ストレンジ・フルーツ」は千秋楽を迎えます。

役者さん達にとって、たいへんにエネルギーを使う演技の連続だったことでしょう。
無事に、この長丁場を完走されましたこと、誠におめでとうございます!
舞台の評判が大きくて、とても良いことを伺い、増田くんファンとして
彼を誇りに思いますし、携わった全ての方に感謝の思いでいっぱいです。

それでは、私の感想を綴っていきます。
初回と二回目では、受けた感情は大きく違います。
初回はかなりネガティブな衝動に駆られた私の正直な気持ち。
二回目ではポジティブに昇華することができたことを、初めに述べておきます。

★5/24東京グローブ座にて初回観劇(順不同の感じたままに)

座席は最後列、センターから少し下手。

始まる前の舞台セット、中央のロープを見て、すでに嫌な予感が襲う。
登場したカナの一連の行動に、私はこの世で見たくないものを見てしまった。
ストレンジ・フルーツという芸術の真相が明らかになった時、
私は気持ちが悪くなり、涙のために用意していたタオルで口を覆った。

いやはや、公式のストーリーに、すっかり騙されてたようです。
町おこしの一環として、人を呼ぶための最高の芸術作品を完成させるという
公益プロジェクトではなかったのか…
一億の先行投資の価値がある、万民を魅了することのできる最高の芸術作品とは
一体、どんな壮大で美しい作品なんだろうと、私は期待してしまっていたではないか。

クラマの、ストレンジ・フルーツという官能芸術を弟子の手で再び実現させるための、
私的なプロジェクトだったんだ。
海老沢は、クラマに雇われたニセ公務員だね。公にできる訳がない。
一億はクラマの個人マネー、7人のアーティスト達はクラマに選ばれたコマ。
廃校はクラマの愛した妻の母校、クラマと妻のかつてのストレンジ・スルーツの舞台。

この私的な死体アートは、はたして芸術なのか…。
私は、この舞台作品に倫理観を振りかざすつもりは毛頭ありません。
舞台そのものが芸術であり、残酷さも官能も退廃や悲哀も喜びも
作り手から自由に表現として提示され、それを観た者の心を揺さぶり、感情をあぶり出す。
その、心に投影されたもの、宿ったものが強いほど、お芝居の醍醐味だと思っています。

しかしながら、この作品のストレンジ・フルーツという行為表現が、
私の感受性にとっては苦痛を伴う非常に残酷で苦手なものでした。
セリフで説明されたものが、頭のなかで鮮明に映像化されてしまうのです。
ですので、このショッキングな行為を知ってしまってからは心が打撃を受け
私はこの作品の深いテーマから逸脱して、置いてきぼりを食ってしまった様です。

ピクニックと表する品評会で、酷評され脱落させられるアーティスト。
服飾デザイナーの森下が才能を打ちのめされ、のた打ち回って苦悩を表すシーンで。
私は以前、国立芸大出身のデザイナーであるママ友さんからの、こんな話を思い出しました。
「芸術をやってる人間は、自分の個性こそが命。それを少しでも否定するようなことを
言ったりしたら、猛然と怒り出すよ。自分がいかに人と違うのか、そこに誇りを持って
生きてる。そんな人間ばっかりだよ。」
自分には別世界の芸術家たちの苦悩は、そんな下地があったので、決してオーバーな
芝居表現とは思わずに入り込めました。

最後列なので、演者の表情は掴めません。セリフと声の響きとアクションだけで
登場人物の心情を探っていました。

クラマという人物には、怒りの感情だけが湧き立って、私にはその持って行き場がない。
クラマ自身が、かつて愛する妻と作り上げた、ストレンジ・フルーツという作品。
千葉が、その時の気持ちを訊いた場面。
ためて、ためて、ようやく放った言葉は…
「さ、い、こ、う、だったよ。」完全にイッてると思った。
この時の千葉の表情変化を、すごく観てみたかったです。角度により、残念至極。
クラマにとって、ストレンジ・フルーツは最高の芸術作品というよりも
倒錯した世界の中の行為であり、そのエクスタシーが忘れられないんだ、と感じました。

クラマの歪んだ愛と芸術の世界観の中で、この官能を自分だけに収めておくことが
できなくなった。
ストレンジ・フルーツの甘美に支配された孤独に耐えきれず、共有者を作りたかった。
再び誰かに作らせることによって、新たなエクスタシーを生み出したかった。

まるで悪魔の所業のように、そこに選ばれて生贄として差し出された千葉とカナ。
千葉は自分に似ている。才能に伸び悩んでいる。
カナは身寄りがいなく孤独、しかも余命わずか。
二人とも芸術家としての魂があり、自分の教え子なので料理しやすい。
そして何より好都合なのは、二人が愛し合っていること…


私、初回観たときはー。
悪魔的支配者クラマの策略により、集められた7人のアーティスト達。
千葉とカナは、クラマの欲望に叶った作品を作らせるため。
他の5人は、千葉に実行させる為だけに存在する養分。
カナは、予め手なずけた。カナにとって、愛する千葉の作品となって彼の心に焼き付けて
死ねるなら本望。
千葉は、初めはそんな作品を自分が作るなんて、とんでもないと拒否するが
愛するカナに懇願されて、カナの想いを叶えてあげるために、遂に決意する…
千葉は自分の才能の行き詰まりを感じていたので、クラマとカナの思惑に見事嵌った。
そんな、ドM感ありまくりな千葉、運命に翻弄される千葉。
及びその他の人物との構図が否めなくて
公式に書いてある、「純粋な愛に殉じた二人」には、心が到達しませんでした。

そもそも、私は「愛に殉じる」という言葉が好きではありません。
「愛に生きる」方の、断固支持者ですので。

グロテスクな描写に囚われすぎてしまった私には、この初回鑑賞では
千葉の作った「ストレンジ・フルーツ」が残酷な単体の作品としか
読み取れませんでした。

次に観たときに、そうではないことに気が付きました。

観た方の多くが「優しい気持ちになれた」と語られていました。
増田くんも、「鋭い作品ですが、観た人が最後に優しい気持ちになってくれれば」と
言っていました。
「優しい気持ち」を探ってみましたが、見いだせなかった私の心が残念でした。

まっすーが、この内容の千葉を、なぜやりたかったのかを考えると
頭の中を、色んな考えがグルグルと回ってしまいます。
この舞台、まっすーが、やってみたいと思って実現したんですよね。
初稿の段階では、本番の台本と違っていることは想像できます。
まっすーは、この本のどこにスイッチが入ったのかな。
まさかー、「なんか、オシャレ~♪」とでも思ったんではないよね、と
この考えは否定したものの、この人ったらパンフの対談で
「読めばよむほど、オシャレな本だなと思いますね。」って言ってたよ~(汗)

まあ、とにかく、増田さんが、あえて自分の世界と真逆を演じて役者としての
自分の可能性を拓いてみたいと、挑戦したのですよね。

うん、それは、大成功だと思っていますよ。
カメラが入った回があったそうですが、多くの関係者各位様に観てもらって
増田さんの、これからのお仕事が幅広く、多くのチャンスに恵まれることを
心から願った初回鑑賞でした。


余談ですが、まっすーと仲の良い伊藤さんが、ツイで報告をしていました。
舞台を観た伊藤さんは「なんか、胸が痛い」と感想を伝えたら
「でしょー?」と、まっすーは言ったそうです。
きっと、満面の笑顔で伊藤さんにそう言ったんだろうなー。
ということは、私の胸の痛みも、まっすーからすれば
「してやったり」という感じなんですねー(笑)

以上、初回の感想でした。
(ほんとはもっとムカムカドロドロして落ち込んでいたんだよー)

二回目の感想は、次の記事にアップします。
次は、晴れやかな感想です(笑)










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Author:きらりん
まっすーの笑顔が大好き
エクボが見られたら幸せ
だいぶ大人のまっすーファンです

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